萬印堂は、国内でのアナログゲーム印刷のパイオニアとして、現在も走り続けています。
そのルーツは、純粋な「ゲームが大好き」という気持ちから始まったものでした。
今回、その中心にいたお二人に、対談企画として様々な「思い」をうかがいました。
ゲームマーケットの創始者である草場純さんと、萬印堂をアナログゲーム印刷専門の会社へ発展させた作道昌弘さん。
お二人の出会いから現在に至るまでの軌跡、そして今後のアナログゲームへの展望から、将来のゲームクリエイターへの願い、萬印堂が目指していくべき道を示していただきました。
(対談日:2022.04.05)
二人の出会い
―― はじめに、お二人の出会いについて教えてください。
作道: 会社員時代に転勤で栃木県から埼玉県に引っ越してきて、東京にやっと近くなったなあと思ってゲーム会に顔を出すきっかけになったのが、六本木プレイシングス!
草場: おお!
作道: 輸入ゲームを扱う店だったんだけど、そこで紹介されたんだよね、JAGA(日本ゲーム協会)を。で、誘われて入会したら、そこに草場さんがいたんですよ。33年前のことです。怪しい動き(笑)をしているから何かなあと思ったら、毎週土曜に「なかよし村とゲームの木」というゲーム会でいろんなゲームをやっているって聞いて、その中に「ブリッジ(コントラクトブリッジ)」もやってますよって聞いてびっくりして、一度行かなきゃいけないなと思ってくっついていったのが始まりです。
―― それで、お二人はブリッジを今も続けていらっしゃる。
草場: そうです。この「高田馬場ブリッジセンター」でね。ここを借りているのも、ここのオーナーさんのご好意で、昼間はいっぱいなんだけど、夜はまるっきり空いているので、自由に使わせてもらっているんです。
作道: いずれにしても、ブリッジをやっているって話がなかったら私はここにいなかった。ブリッジがひとつの繋がりになりました。
草場: 私も中学生の頃にブリッジを覚えて、周りにできる人が全然いなくて、最初は教えながらやっていたんですよ。でも私自身があんまり上手くなくて、学生時代もやっていたんだけど、下手の横好きというか、ずっとやってきていていまだに上手くない(笑)。
作道: その後に父が亡くなって、40歳の時にサラリーマンを辞めて、家業の萬印堂に戻ったんです。そこから急に忙しくなっちゃって。それまでは真面目になかよし村に出ていたんですよ。それから縁遠くなっている間にゲームマーケットが始まったわけですよ。
草場: そうそう。それでカタログを作らなければいけなくなって、カタログを編集する人はいるんだけど、どこで印刷しようって言っていた時に、たしか印刷屋に知り合いがいたなあと(笑)。それで(作道さんに)頼んだのがひとつのきっかけでね。
それから色々頼んだりしたんだけど、元々ゲームを印刷する会社ではないからね。そういう会社は存在しなかったわけだから、奇しくも(業界の)草分けになって、前人未到だからなかなか大変だったと思うんです。
作道: そうですね。
草場: でも、お互いによく知っているから、こっちもわがままを言えるし、向こうの事情もわかるし、お互いにウィンウィンだったと思います。おまけにゲームマーケットで一番手伝ってくれて(笑)。車に色々と積んで運んでくれたり、設営を手伝ってくれたりね。
だから私としては、印刷会社の人じゃなくて「仲間」なんだよね。そうやって一緒に作ってきた。そういう関係だから、クライアントとメーカーのような他人行儀な関係ではなかったのが非常に助かりました。ゲームマーケットの成功の何パーセントかは作道さんのおかげですよ、本当に。
作道: いえいえ。
草場: (当時のゲームマーケットのカタログを見ながら)どっからだったっけ?
作道: 3回目からですね。
草場: ここから萬印堂さんに依頼してたのか。
作道: 話では、ゲームマーケットはこんなに何回も続ける予定じゃなくて、たった1回だけの予定だったとか。
草場: そう。1回やってみようかって話で、50人も来ればいいねって言っていたら400人来たんですよ。借りた会場は250人までだったかな。そうしたら会場から怒られちゃって。消防法ってもんがあるんですからって(笑)。これだけ来てくれるのなら2回目やろうかって話になって、それから10年ですよ。最後(第10回)には1,000人超えたくらいになっていて、もう個人ではできないなってことで(アークライトに)バトンタッチするわけですけど。
でも10年間、本当に手作りで、作道さんはじめ、編集してくれた内藤さんとか、今はアークライトにいる山上君とか、ゲーム会のみんながボランティアで手伝ってくれて。ゲーム会の続きみたいでしたよ。
作道: (ゲームの印刷で)最初は遊宝洞の「伝説のかけら サーガ」でした。カタログを編集されていた内藤さんからの紹介でね。当時、他の印刷会社で断られちゃって。数量が少なすぎるって。それで私のところにやって来て、いいですよって……。ゲームマーケットで販売して、あとエッセンにも行ったんですよね?
草場: そう、持っていきました。遊宝洞は我々のさらに先を歩いていたね。
作道: はい。最初はやっぱり口コミなんですよ。ホームページも(当時は)無かったから。ゲームマーケットに参加している人から、口コミで少しずつ広がっていった。
当時はボードゲームを作るっていう文化は無かった。元々、ゲームマーケットも「お家の中で眠っているボードゲーム・カードゲームをみんなで楽しもう」っていう主旨で持ち寄って、一部フリーマーケット的に販売する程度で……。作る人なんかいなかったわけですよ。
そんな中での草分けが川崎さん(カワサキファクトリー)なんですよ。ただ、作っているっていっても手作業ですから、せいぜい50個とか、100個も作れば多い方ですかね。
草場: 下手すると10個とかのところもあった。
作道: そうすると、量産するためにはどうしたら良いかって時に、たまたま私が作ったってうわさを聞いて、ひとつひとつ増やしていったんですよ。
草場: 結局、小ロットで作れるところがそもそもないわけだから。で、ゲームマーケットも「押し入れゲームに光を」みたいな話で始めたんだよね。
なぜかっていうと、1982年になかよし村を始めて、1986年にJAGAとボードウォーク・コミュニティーっていうゲーム会が立ち上がってね。ゲーム会が広がってくると、みんな買い込んだゲームが押し入れに溢れてくるから、交換しようみたいな。それで、一人一人交換するのは能率も悪いし、個人的な繋がりでしか換えられないから、マーケットがあったらいいねって話になって。まあ、戦後の闇市の露天商みたいな感じで始めたんですよ(笑)。
作道: はっはっはっ!
草場: だから最初は床売りですよ。神田パンセ(第1回の会場)の床にビニールテープを貼って枠を決めて。それが良くて、座り込んでお客さんと話しながら、「これいくら?ちょっと見せて?ありがとう!」みたいな。これがウケたんですよ。
最初の時代はそういう個人ゲームの交換時代、その後がメビウスとかバネストとかの会社さんが入ってきた時代、その後が創作の時代ですよ。そういう意味で今は第3期なんだけど、第1期の時はゲームを作るっていう発想は無くて。「ゲームは作らないの?」って聞かれた時は「それは老後の楽しみに残しておく」って言ってたよ(笑)。
そんな時に(萬印堂が)大きなインフラを用意してくれたわけでしょ。だから当時の作家だと川崎さんとか本間さん(骨折ゲームズ)とか、その後はカナイさん(カナイ製作所)とか林さん(OKAZU brand)とか、少しずつ拡がってくんです。その人たちは先駆的な業績を上げていって、ドイツに行って、エッセンで一緒に売り子をやったね(笑)。
ゲーム会、ゲームマーケット、それから海外進出、アナログゲームミュージアムと紆余曲折ありつつ、ずっとこの道を一貫してやっているんですよ。
アナログゲームの魅力
―― お二人ともアナログゲームが大好きなわけですけど、アナログゲームの魅力って何ですか?
草場: やっぱり「対人」。人と人が顔を突き合わせてやるっていうことだね。
作道: 私がよく言っているのは、デジタルは簡単にリセットできちゃう。ボードゲームで、顔と顔を突き合わせていると、簡単にリセットできないんですよ。
草場: そうそう。一回ちゃぶ台返ししちゃうと遊んでくれなくなっちゃう(笑)。
作道: そこで我慢強さとか忍耐力とか、それから周りの人とうまく溶け合う連帯感であるとか……。
草場: コミュニケーションですかね。それがアナログゲームの魅力。
作道: そうですね。それで社会性的なものを身に付けてね。世の中のお母さん方が自分の子供の教育にいいんだって言って、ボードゲーム・カードゲームを勧める方も増えてきていてね。
草場: 私はあんまりそういうのは好きじゃないんですけど。教育が専門だから、教育に遊びを持ち込んじゃいけないし、遊びに教育を持ち込んじゃいけない、と心の底では思っているんですよ。売りにするのには良いのかもしれないけど、どうも私はそうじゃないなあと。
おもしろいからやるのであって、ためになるからやるんじゃあないと思う。
作道: そんな多くのゲームの中で、草場さんもそうですけど、ブリッジに特に注目して今日までプレイしているっていうのは、これも他のゲームの中でも特殊なんですけど、ブリッジには個人戦がない。ペア戦、それからチーム戦。そこにパートナーシップ、あるいはチームワークっていう要素が入ってきてね。これがまた非常に良いんですよ。私はそこに魅力を感じます。
草場: 私もそうなんだけど、諸刃の剣みたいのがあって、よくそれでパートナーとけんかしてます(笑)。
作道: はっはっはっ!(爆笑)
草場: 私はね、ブリッジも含めた歴史のある伝統ゲームに興味があるんですよ。伝統ゲームっていうのは、人間たちが培ってきたひとつの文化であって、ある構造の通りにやると、昔の人が味わったようなおもしろさを今も味わえて、将来も味わえるっていうのが伝統ゲームの良さなんだけど……。
今のデジタルの世界は安直なんですよ。すぐリセットできるのもそうだけど、スイッチを入れればすぐ立ち上がって、ルールを読む必要もない。非常に簡単に言えば、将棋の「銀」は横には動けないことをアナログでは覚えて守らなければいけない。でもデジタルだと横に動かそうとしても動かない。
だから、アナログゲームとデジタルゲームの非常に大きな違いっていうのは、アナログゲームのルールは(人の)内側にあるんです。デジタルゲームのルールは機械が持っているんです。だからルール違反ができない。これはちょっと現代人を弱くしているところがあると思うんですよね。
作道: ええ。
草場: 私が書いた本「遊びの宝箱」に100個以上の遊びを入れましたけど、こういう文化は今は無くなっちゃっているんですよ。高度経済成長前の子供の世界は、集団で遊んでいたんですよね、年齢関係なく。今は見られないですよ。公園に行って、子供が遊んでるなあと思ったら、みんなでこうやってる(携帯ゲームを遊ぶ様子)。
もう遊ぶ方法を知らない。やりたくないからやらないのではなくて、知らないんですよね。だから本を書いたんですけど、まあどうでしょうね。やるようにはならないと思うね。時代が変わっちゃったからできない。
昔は子供集団からはじき出されると遊び相手がいないから、必死に鬼ごっこでも何でもルールは守るけど、今は嫌になるとぷいっと行っちゃって、家に帰ってデジタルゲームをやれば退屈は紛れるから(苦笑)。
もう世界の構造が変わってしまった。だからこういう昔の遊びが失われてしまう。ただ、失われるだけでは困るので、私は大人ができる伝統的なゲームをなるべく復活させたいと思っているんですよね。
作道: はい。
草場: 伝統ゲームは、みんなが知らないっていうのがポイントで、おもしろいものを知らないんだったら知ってもらおうではありませんか、みたいなね。それがすごくポイントなんです。
例えば「投扇興(とうせんきょう)」とか「藤八拳(とうはちけん)」とか、そういうような伝統遊びはみんな知らないんだけど、やってみるとすごくおもしろいので少しでも広めたいけど、なかなかうまくいかない。
作道: ああ、そうですね。
草場: 「ドラフツ」(チェッカー)なんて、2007年からやっているけど集まるのは4、5人ですよ。どうしても広まらないね。それでもしつこくやっているけど(笑)。
「ごいた」はゲームマーケットでも扱って、ひとつのきっかけになったと思うんだけど、能登半島の宇出津(うしつ)だけでやっていた伝承遊びの魅力をみんなにわかってもらって広まったんだから、冥利に尽きますよ。
伝統ゲームで非常に大事なことだけど、伝えている人をリスペクトしなきゃいけない。そういう気持ちになるわけです。人に知られないおもしろいものを知ってもらおうということをずっとやるには、人に知られないおもしろいものを伝え続けてくれた人がいてこそ、それができるわけだから。やっぱりそうやってきてくれた人には、すごく敬意を持っているんです。
だから、幸せな遊びとかの文化を豊かに語り継いでいくっていう要素が必要で、その歴史っていうのが残されるべきだと思うんですよ。もし私がゲーム研究家っていうことを名乗れるんだとしたら、例えば「盤双六(ばんすごろく)」の歴史とかの本を将来は出そうと思っていて。今はアナログゲームミュージアムの建設を目指しています。
アナログゲームミュージアムについて
―― 萬印堂も年間で500作品以上作っていますけど、予備とかサンプルの保管が難しい状況で……。
作道: 全部のゲームに目を通せないしね。(草場さんは)昔、ゲームマーケット大賞を選ぶ時に、出品作品を全部ひとつひとつ……。
草場: あれは大変だった!
作道: あれだって全体の中の一部だけですからね、大変なことでしたよね。今は本当に多くの作品が生まれては消えていく。
草場: でも記録しておかないと本当に無くなっちゃう。地上から消えてしまうのは非常に惜しいので、アナログゲームミュージアムを作ったわけだけど、これでも全部を保存することはできないけども、最低1個でも保存しておけば復元はある程度可能だしね。そういうことで、今は大磯(神奈川県)に倉庫兼研究所みたいな感じだけど、まずは資料館としてね。
まあ普通の民家なんで何十年も持つわけじゃないけど、そのうち行政の援助とか補助金とか、あるいはクラウドファンディングみたいなかたちで広く支持をもらえれば、どこか良い場所に大きな場所を作ってね。そこはゲームもできます、保存もします、提供もしますみたいな、本当の意味でのゲームミュージアムを作る。その第一歩のステップとしてスタートしました。
これから仲間たちが分類整理をして、ネット上に公開して誰でも使えるようにする。研究に使えるんだったらどうぞ、という感じにね。ただ貸出っていうのは技術的な部分とかで難しいんだけど、ゆくゆくはそれもやりたいと思っています。
ゲームっていうのは漫画や図書なんかと違って扱いにくいところがある。箱(の大きさや形)がめちゃくちゃだし、開けるといっぱい物が入っているし……。それをどうやって上手に保存し、保管し、研究対象にしていくかっていう非常に難しい問題があるので、それをみんなで周知を集めてやっているんです。
大きいところだと、大阪商業大学にアミューズメント産業研究所っていうのがあって、こういう構想をすでに持っているんですよ。1年に1回特別展をやっていて、私も何度か見に行きましたけど、結構頑張っている。
作道: そりゃあ、コレクションは相当な数ですよね。
草場: 結構珍しいものや、お値段の高いものとかいろいろありますよ。こっちはどちらかというと、今遊んでいるものをそのまま保存しようみたいな感じがあります。
アナログゲームのこれから
―― これからまだまだ新しい作品が出てくると思いますけど、これからのゲームに望みたいことはありますか?
草場: あえて歴史を巨視的に見て言うなら、だんだん生活が豊かになってきていると思うんです。質も向上してきていると思うんですよ。そうすると、昔は食うや食わずで、明日のご飯はどうしようかっていうのが、今は明日の楽しみをどうしようかって感じで良くなっているわけですよ。物理的にも精神的にも豊かになってきていると思うんですよね。
その中で、こういう遊ぶものっていうのはこれから求められるわけで。特にゲームの場合はですね、私がなかよし村を始めた頃は、こんなの毎週やっていたら、そのうち遊ぶゲームが無くなるねって言ってたんだけど、全然そんなことなくて(笑)。
ゲームマーケットのカタログを見ても、前日ゲーム会とかを見ても次々とアイデアが出てきてね、すごいですよ。そういう意味で将来性がすごくあるなあっていうか……。
これからこそ(アナログゲームは)求められるべきだと思うんですよ。だから重厚長大の時代が終わってね、銃を持って戦う時代じゃなくて、やっぱり駒とカードで戦わないとダメですよ。盤上で戦えば血は流れないと私は思いますね。
作道: 元々ゲームもね、戦争シミュレーションから出てきているから。
草場: まあね。そういう血筋はありますけどね。
作道: そういうものが平和利用にいろいろ活用されてきて……。
日本の国内でいえば、ボードゲーム・カードゲームがだいぶ浸透してきたんだけど、ステージがやっとでき上がったところで、これからもっと広がっていって、デジタルゲームだけじゃなく、アナログゲームも両方共有しながら。私達の幸せのためにね。ゲームをやっている時って幸せですもんね?
草場: そうそう!
作道: 心地良いんですよ。負けても勝ってもね。
草場: そこがいいんだよ!
作道: 負けたら負けたなりに、どうして負けちゃったかなあって、その反省をする時間が好きだしね。
また、生活の中でも仕事においても、ゲームで体感したことがひとつの疑似体験になっていて、何か知恵が付いてくるんですよね。そういう意味で、脳に対する刺激であるとか、行動に対する積極的なアクションに繋がってくるとか、良い面をたくさん引き出せるのが、ボードゲーム・カードゲームであると認識しています。
だから、人と人との対面でも、普段できないことがゲームを通して疑似体験できて、嫌がらせをするのもひとつのおもしろいところでね(笑)。
お互いの考え方をぶつけて、そういう考え方もあるんだなって、理解しあうこともひとつ重要なテーマでもあってね。草場さんのことは、私はいまだにわかってないですけど(笑)。
草場: はっはっはっ!(爆笑)
作道: まあ、人を知る、人間を知る、そういうことにも役立ちますね。
草場: 遊びの研究ってね、最近、学術的な研究が割と盛り上がっているところもあります。
私は月に1回「ボードゲーム読書会」っていうのをやっているんですよ。ゲーム関係の本を講読するっていう会なんですけど、そういう研究も色々な方面から盛り上がってきているのがすごく良いし、ゲームは色々な勉強ができるのがいいんですよ。
歴史からも見られる、人間関係からも見られる、社会的なものとしても見られる、文化的なものとしても見られる、数学的にも見られる、哲学的にも見られる、心理的なものとしても見られると、色々なものを受け入れるサラダボウルみたいなところがあるのが、すごく魅力的なんですよね。これはデジタルゲームも含めてね。
今後の萬印堂に対して
―― 萬印堂が作っているゲームの多くは、知っている人だけが知っているというものなので、もっと広められたらいいなと思っているのですが……。
草場: 私はそのままでいいんじゃないかって気がするんですよ。なぜかっていうと、流行っていうのは盛り上がって良いんだけど、一過性のものであることが多くて、終わってしまうとしぼんでしまうっていうのがね。
私なんかは高度経済成長期で青春時代を過ごしたので、右肩上がりに売れなきゃダメみたいなところがあるけれど、少部数でちょっと売れるでもいいんじゃないかと思うんですよ、逆にね。
多様性って言葉があるけど、多様性っていうのは裏を返すと少しの人しかやらないんですよ。だから商売的にはちょっと酷かもしれないけどね(笑)。色々なゲームが出てくるってことは、多様性を追求しているんですよ、みんなね。同じようなゲームはパクリだとか言われることもあるけど、今まで無かったものが出ると、それだけですごいなってなるわけですよ。
売れるとか売れないとかっていうのは、またちょっと次元が違うんだけど。これからは右肩下がりの時代だから、そういう時代に古い価値観ではやっていけないので、ある意味ではそれでいいと思うんです。
作道: そうですね。私がお客様とゲームを作るっていうことをテーマで話した時に、お客様はまず作りたいっていう欲求が生まれてくる。
デジタルゲームだと、プログラミングを一生懸命覚えなきゃいけないし、色々なグラフィックのこととかがあって難しいんだけど、アナログゲームだと、多少の絵心があれば結構作れちゃう。作りたいっていう要求に対して、作れますからどうぞ、と言って受け入れ先を萬印堂が提供してきたんですよ。
それで、作ることができるってことになると、お客様が喜ぶわけです。ああ、作れるんだって。作れることにわくわくしてきて、どういう風に作ろうかってね。
その作ることの喜び、作れることの喜びが大事で、今度は自分の作品が出来上がった時の喜びでしょ。さらにその作ったものがゲームマーケットっていう場所に出店することによって、自分の作品をみんなに紹介できるっていうね。で、買ってもらえる、広めていくっていう喜びがあるんですよ。
草場: そうだね!
作道: 数は50個でも100個でも構わないけど、自分の考えたことを、形になったものを勧めていく。この喜びがさらにあって、買ってくれたお客さんが、おもしろいよ!とか紹介してくれる。あるいはつまんなかったよ、とかね(笑)。
そういったリアクションがあるっていう喜びがあって、それが原点なんですよ。それを我々が伝えていく、あるいは門戸を開いてお客様を増やしていく。それがどんどん社会的に繋がって広がっていく。それが萬印堂のひとつの大事な意義かなと。それが将来的に増えてくる。増やそうと思って増やすのではなくて、広げていこうって思って、いつの間にか増えてくるってね。
そうすると、萬印堂だけでは手に負えないから、同じように志を持つ業者が増えてくれば、もっと日本社会に広がっていく。そういう受け皿ができてくる。そういったことだと思うんです。
草場: そうそう。日本中だけでなくて、世界に広がって結びつけば、すごく良いと思います。
《プロフィール紹介》
草場 純(くさば じゅん)
1950年 東京都北区出身。大学卒業後は小学校の教員として勤務しながら、子どもたちと様々な遊びを実践。
1982年、ゲームサークル「なかよし村とゲームの木」を設立。
2000年に第1回「ゲームマーケット」を主催。
2006年に教員退職後、国産ゲームを海外に送り出す「ヤポンブランド」を設立。「ラブレター」「街コロ」などを世界に送り出す。
2021年、古今東西のゲームを収集・保存・研究する目的として「一般社団法人アナログゲームミュージアム運営委員会」を設立。
「ゲーム探検隊 ―ゲームのしくみを解き明かす知的興奮読本」「遊びの宝箱」「もっと夢中になる!トランプの本 ―ゲーム・マジック・占い」など著書多数。
作道 昌弘(さくどう まさひろ)
1955年 東京都北区出身。1995年、父の急死にともない、それまで勤めていた会社を退職。創業者の父の跡を継いで萬印堂へ入社。
元来、ゲームが好きだったことが高じて、従来の伝票印刷などの品目に加え、2000年よりアナログゲームの印刷を本格的に着手。
その後、「ボードゲーム・カードゲームの印刷所」としてアナログゲーム印刷専門の会社として発展させる。
2020年より経営を後継に託し、現在は顧問として在籍。
世界3大トランプゲーム愛好家、コントラクトブリッジ・インストラクター、ファイナンシャルプランナー、管理会計アドバイザー、事業承継プランナーなど肩書多数。